前編では、「なぜジャワ島を訪れたのか」を記しました。
今回は後編というか本編です。「ジャワ島で何をしてきたのか」という内容です。
写真中心ですので、さくっとお楽しみくださいね。
まずはジャカルタから。ヒジャブについて。
ジャカルタ到着翌日には、数年前に日本で知り合ったインドネシア人の方と再会できました。現地のことをいろいろ教わり、心強かったです。
出会ったころの彼女はヒジャブ姿ではありませんでしたが、最近になって着用を始めたとのこと。
「多様性の中の統一」が国のスローガンで、「国教」は定められてません。ヒンドゥ教や仏教の影響も残ってます。でも人口2億7千万人の9割弱がムスリムとのこと。
そのうちのムスリム女性のヒジャブ着用率は、少なくとも6割以上のようです。
教育を受けた女性が増え、その社会的地位の上昇とともに、自主的なヒジャブ着用率も上がっていったと言われてます。現地ユニクロでもヒジャブを売ってました。
都市の若い世代ほど髪を隠すようになったというのは、不思議な気もします。親世代からの自立の証なのでしょうか。
国民的英雄チュ・ニャ・ムティア(反オランダ闘争の女性指導者)はたぶん(名前を冠したモスクもあるくらいなので)ムスリムですが、肖像では髪を隠してません。2024年12月現在1000ルピアは約9.5円です。
ちなみに、あるところでお会いした姉妹は、未婚の妹がヒジャブ着用で、結婚していて子もいる姉はというと、ヒジャブは着用せず、それどころか髪の一部をビリー・アイリッシュのように青色にカラーリングしてました。
ふつう、結婚姉と未婚妹でスタイル逆のはずでは…とつい思ってしまいましたが、偏見、思い込みですね。姉妹はお互いの信条を尊重してました。
ジャカルタに来たネルソン・マンデラ。晩年はバティック(を模した南ア製)のシャツの愛用者でした。
博物館にあの自由な生物が…
ジャカルタの繊維博物館ではトゥバンというジャワ島の東北にある土地のバティックを特集してました。また、20世紀初頭の手描き作業によるバティックが多数展示されてました。
館内をツアーガイド志望の学生ボランティアさんが案内してくださいました。在籍してる職業学校のカリキュラムの一環だそうです。
猫が展示物の上に寝そべっていて、びっくり。
「お手を触れニャイでください(猫は足だからセーフ)」。
誰も追い出そうとしてなかったのがよかったです。いや、よいのでしょうか…。
ジャカルタでは、郊外のテーマパーク内にあるバティック博物館にも行きました。
ところで、これらの施設では英語案内が少なく、日本で発行されたクレジットカードは使えないなど、首都ジャカルタでさえ外国人旅行者にとっては、すこし不便でした。
逆に、それだけじゅうぶんな内需があるのでしょうね。なにしろ人口が世界4位の国です。
ジャカルタのガンビル駅は日本の駅を参考にしたようです。ここから次の都市ソロ(行政上の名はスラカルタ)へ、特別列車で7時間かけて行きました。
ソロ(別名スラカルタ)
内陸の古都ソロは、前大統領ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)の出身地です。
インドネシア史上はじめての庶民派(非軍人、非政界エリート)の大統領でした。ちょうどかれの任期は私が滞在した10月まででした。2期10年、お疲れ様です。
そのソロには街中いたるところに伝統的バティックの意匠が。
右下のはジャカルタからの列車内でいただいたお弁当です(よく見るとスリーブにバティックの柄)。
ソロでもバティック博物館へ。
地元の大企業が所有するコレクションで、ガイドさんもプロフェッショナルでした。私のあらゆる質問に詳しく答えてくださいました。
べつの企業では、バティック工房の見学をすることもできました。
スタッフさんにとてもよくしていただきました。
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ジョグジャカルタ
ジャワ島で最後に滞在したのはジョグジャカルタです。いまでも州知事はスルタン(イスラム君主)がつとめている古都です。
ちなみに、かつては王族専用だった傾斜柄(パラン)、線の向きがソロとジョグジャカルタでは逆になると聞きました。向きはどっちがどっちだったか…。
バティックをモチーフにしたノート。
ジョグジャカルタでも、もちろん博物館へ。
博物館のガイドさんに日本語堪能な方がいました。
近年、日本人はほとんどジョグジャカルタ観光に来ないそうです。「90年代~00年代は多くの日本人が来ていたのに。どうしてでしょうか」と訊かれました。
うーん、日本人はバリ島にしか行かなくなったのでしょうか…。
やはりこの数十年の日本経済の停滞が原因でしょうか。
伝統的バティックの工程の一部、「ロウで描く」の体験もしました。
影絵芝居「ワヤン・クリ」の人形は牛革製です。
ジャワ島での食べもの
ジャワ料理は辛いものが多いので、すこし苦労しました。
辛くない料理としては「グドゥッ」が美味しかったです。ジャックフルーツとココナッツミルクを使った煮込み料理です。
スイーツもいろいろ食べましたが、「クルポン」という団子が美味しかったです。
アフリカ滞在時と同じように、様々な種類の果物を食べることもできました。マンゴーは大きかったです。
ソロでは伝統薬「ジャムウ」も買いました。主にお湯に溶かして飲みます。
ジャムウ専門のカフェにも行きました。小さいグラスの中身はお口直しの砂糖水。ジャムウは独特の味なので、苦手だというインドネシア人もいました。
ニコニコな国
ジャワのみなさん、目が合えばみんなニコニコです。店員さん、施設スタッフさん、警備員さん、タクシー運転手さん。とにかく笑顔。
「ポジティブ指数ランキング」で世界1位の国なのも納得です。
ただ、極端なクルマ社会でした。すぐ近くに行くのにもバイク利用です。
たしかに、歩道はそれほど整備されてないし、暑すぎるし、信号機付き横断歩道も少ないので、歩いてられないのかもしれません。
とはいえ、アフリカ諸国でも条件は同じですが、アフリカ人はもっと歩いてます。
「インドネシア人は1日の平均歩数が世界で最も少ない」という米スタンフォード大学のデータは正しいようです。
「Eiger(アイガー)」という優れたアウトドアのブランドはあるのですが。
素材と配色が気に入ってリュックを買いました。
ともかく、インドネシアの皆さん、健康のためにも歩くことをおすすめします。
といいつつ、一日の終りまで元気を残しておきたいのでクルマ移動してしまいますね…。
どの街でもパレスチナの旗がちらほら。
昨年10月から続くイスラエルのガザ攻撃。あの「スターバックス」は親イスラエル企業とみなされ、閑散としてたり、休業してたりでした。
あるタクシー運転手さんは「スタバのエスプレッソが好きなんだけど、いまは行きづらい」と嘆いてました。
クアラルンプールに寄りました
帰国する前に、「更紗今昔物語」によればジャワ更紗のロウケツ染め技法が最初に伝播した国のマレーシアの首都クアラルンプールにも寄りました。
その移動の機内では、サウジアラビアのメッカが最終目的だという数十名のインドネシア人ツアー客と一緒になりました。
ある初老男性は、私が日本人だと知ると五輪真弓「心の友」を歌ってくださいました。歌詞(日本語)の意味を尋ねられました(笑)。後で調べたら、この曲は昔ラジオでよく流れたので多くのインドネシア人が歌えるそうです。なお、「若いときのヒーローは千葉真一、志穂美悦子、倉田保昭」とのこと。昭和のアクション映画の俳優さんたちですね。
ジャワ島では日本アニメが好きな人はもちろん、日本人俳優のファンだという人や「日本に数年働きに行ってた」という人にもよく出会いました。
さて、以下はクアラルンプールの独立広場にて。手前は「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」、奥は2023年に完成した世界2位の高さのビル「ムルデカ118」。
マレー系、中国系、インド系が暮らす街。
ジャワ島のものとはテイストの違うバティック(バティックはジャワ更紗のことなので、正確にはマレーシア更紗?)を少し買い足し、もちろんここでもバティック関係の博物館に足を運びました。
2カ国4都市でバティックにたっぷり触れることができた今回の旅でした。
今後も梅田洋品店はバティックに注目していきます。
【おまけ】帰国後に札幌でセミオーダー受注会を開催した際にバティック(右端)も並べました。
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左が西アフリカのパーニュ、右がジャワ更紗
今年も梅田洋品店は10月にお休みをいただきました。
いつもはアフリカ大陸へ買いつけ旅をするための恒例のお休みですが、今回はある目的があってインドネシア(のジャワ島の3都市)を訪ねることにしました。
なぜジャワ島へ?
梅田洋品店が服作りに使っているのは「アフリカン・プリント」です。
細かく言うと、東アフリカの「カンガ」や南アフリカの「シュエシュエ」も使いますが、西アフリカの「パーニュ」がメインです。
左からコートジボワールのパーニュ屋さん、ケニアのカンガ屋さん、南アフリカのシュエシュエ屋さんにて。サイズやデザインの特徴がそれぞれの布で異なります。
「パーニュ(仏語で『腰布』)」は英語圏では「ワックスプリント」とも呼ばれます。つまり「ろうけつ染め」を模した機械プリントのことです。
「アフリカ布」という呼び方も最近は耳にしますが、多くの人がそれでイメージするのも、伝統的な布(泥染め布、ラフィア布等)ではなく、この西アフリカで多く売られているパーニュ=ろうけつ染めを模した機械プリントの布ですよね。
そう、「ろうけつ染めを模した」…
ろうけつ染めといえば、ジャワ語で「バティック」…!
じつは、「パーニュ」の源流はインドネシアのジャワ島にあるのです!
歴史をざっくりと…
ちょうど梅田洋品店を始めた2006年に国立民族学博物館で更紗の特別展が開催され、大阪まで行ったことを覚えてます。
私の理解では、「西アフリカの機械プリントの布の歴史」はざっくり以下のようです。
★15~17世紀の大航海時代に、インドのプリント布(インド更紗)が世界中に伝わる。日本にも。 ↓★ジャワ島でもインド更紗を参考にしたと思われる「ろうけつ染め(バティック)」が独自に発展。ただし王族用として。伝統的なバティックの特徴は、ロウを布の両面に置いて表裏まったく同じに染めること。柄のモチーフは波や剣、椰子の実、星、花など。「忍耐力」「愛と幸福」などの意味が込められていた。ジャワ人の多くが信仰しているイスラームの教えにより、人物や動物のモチーフはなかった(インドや中国の影響による神鳥や蛇神、孔雀の羽の柄などはあり)。 ↓★18世紀後半の産業革命期にイギリスでローラーを使う機械プリントが発明される。18世紀末にイギリスは機械織りの布を大量生産して、植民地インドに輸出。そのためインドの手織り布産業は衰退。 ↓★オランダは17世紀からインドネシアを支配。19世紀、オランダはローラーによるろうけつ染めを開発。「模倣バティック」を大量生産。ジャワ島に輸出…したのですが… ↓★インドの例とは異なり、ジャワ人は負けずに生産性を向上。手描きだけでなく、ブロックプリント(銅のスタンプ=チャップ)も使い、バティックの量産を可能にした。欧州からの大量の綿布の流入もあった。価格も求めやすくなり、大衆化(ただし、「王族以外は着用厳禁の柄」はあった)。 ↓★それに、オランダの模倣バティックは「ロウのひび割れ」が残っていた(現在でもそう。いかにも「ろうけつ染め」に見せるため、あえてそのように製造?)。ジャワ人の好みには合わなかった。 ↓ところが、同じくオランダ領だったゴールドコースト(現在のガーナ)に模倣バティックを輸出すると、デザインも質もたいへん好まれた(それ以前に、兵士としてジャワ島に派遣されていたアフリカ人たちが模倣バティックを持ち帰っており、そのときから人気だった――という説も)。 ↓アフリカ人の好みに合わせて、線を太く、色を明るくデザイン。モチーフには傘や扇風機等の道具のほか、人物含む生き物の絵も。 ↓以来、イギリスや中国の企業も製造と輸出を始めたり、現地にも工場ができたりして、「パーニュ(ワックス・プリント)」は西アフリカ各国の市場にあふれ、「アフリカ布」を代表するまでになった――。
まとめると以上のようです。主な参考資料は以下です。
国立民族学博物館『更紗今昔物語―ジャワから世界へ』
アンヌ・グロフィレー『ワックスプリント―世界を旅したアフリカ布の歴史と特色』
遠藤聡子さん(ブルキナファソとコートジボワールでお世話になりました!)『パーニュの文化誌-現代西アフリカ女性のファッションが語る独自性』
グロフィレーさんによれば、パーニュ(ワックスプリント)は「適応と模倣から生まれた不思議な布」。
実際、バティックの柄の名残もあります。
「西アフリカの機械プリント布の源流はジャワ島にある」という意味がおわかりいただけたでしょうか。
もっとも、今回ジャワでお会いしたバティック博物館のガイドさんも、バティック工房のスタッフさんも、西アフリカのパーニュとその歴史についてはご存知ないようでした。
「うちが元祖だよ」と、もっと自慢していいかもしれませんね。
続きは後編で…
ともかくそういうわけで、この18年間はアフリカにばかり行ってましたが、「ジャワ島にもいつか!」とずっと思っていたのです。
ようやく、今回ジャワの3都市をまわることができました。
バティックを学ぶため、そして服に仕立てるバティックを求めて…
でも、前置きが長くなってしまったので…
続きは別の記事にします…!
【おまけ】
機械プリントでは、このような銅のローラーを使います(ガーナの工場にて)。
ローラーに加え、バティックのようにブロックプリントを施すことも(ガーナの工場にて)。
ジャワ島でのブロックプリント用の銅型(チャップ)。
おまけのおまけ。こちらはガーナのハンドプリント工房での一コマ。固いスポンジのブロックプリント。
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7年ぶり6回目!
コロナ禍の数年間はアフリカはもちろん、どの国にも行けませんでしたが、2023年10月にようやく買い付けの旅を再開することができました。今回の行き先は多くの友人知人がいる南アフリカ共和国にしました。
よく数えてみたら、2000年〜2002年にボランティアで滞在してた隣国ジンバブエからは3回、その後2008年と2016年にも南アを訪問しています。
というわけで、今回で通算6回目の南ア入国でした。じつは私が最も多く訪れてる外国かもしれません。
まずは大西洋に面したケープタウンに滞在し、それからインド洋に面したダーバンへと飛び、最後は最大の都市ヨハネスブルグに行くという計画を立てました。
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ケープペンギンとの再会は…
ケープタウンでは、ジンバブエ人の友人と再会することができました。世界遺産「カーステンボッシュ国立植物園」を案内してくださいました。
彼女とは2013年にジンバブエで出会い、2017年にはナイジェリアでもお世話になりました。今回でまさかの3カ国目での再会!
ご覧の通り、10月上旬のケープタウンはまだ寒かったです。「この冬(7月~9月)は、ケープタウンに暮らした数十年間で最も寒かった」と言う人もいました。酷暑だった日本とは真逆だったんですね。
ただし、欧州系の人(白人)はTシャツ短パンだったりするので驚きます。ウーバーの黒人運転手さんとも、白人との体感温度のちがいについて話題になりました。
7年前のように、ジンバブエ人画家のチェンジェライさん夫妻にも再会できました。なんと来年、チェンジェライ画伯はジンバブエの国立美術館で個展を開催するとのこと。青空市で作品を手売りしてた時代の彼を知っているだけに、それを聞いて私も嬉しかったです。
ちなみにウーバー運転手さんもジンバブエ出身者がとても多かったです。また、女性の運転手さん(カメルーン育ちとのこと)にも一人だけですが遭遇しました。
極楽鳥花が咲き乱れてました。
背後には西洋のお城の形の「キャッスル・ロック」。
でもケープタウンの山といえば、「テーブル・マウンテン」ですね。
ときおり、雲の「テーブルクロス」がかかります。
ケープタウンは2回目ですが、ケーブルカーではじめてテーブル・マウンテン頂上にも行きました。南ア初の黒人大統領ネルソン・マンデラが18年間囚われていた監獄島(ロベン島)を確認。
喜望峰も21年ぶり2回目です。世界屈指の美しい景色を楽しめる車道「チャップマンズ・ピーク・ドライブ」からサイの形をした岩山を眺めました。インスタ映えするカラフルな家が並ぶボカープ地区(マレー系ムスリムが居住)を散歩。左奥にテーブル・マウンテンが見えてますね。ボルダーズビーチでは、これも21年ぶりにケープペンギンたちに会えましたが、個体数が激減しているからなのか、柵が設けられており、観光客は以前のように近づくことができませんでした。
今年7月の袋井イベントの帰りに訪れた「掛川花鳥園」のケープペンギンのほうがもっと間近で見ることができました(笑)。
😎ジャン=リュック・ゴダールごっこ@ケープタウン pic.twitter.com/ds9VmDYsc8
— 梅田洋品店 (@UmedaYoHinTen) October 7, 2023
ケープタウンでは御覧いただいたように旧交を温めたり、観光したりがメインでしたが(笑)、しっかり買付けに関する情報を入手しました。
ダーバンのズールー・ビーダーズ
肌寒かった大西洋のケープタウンを離れ、温暖なインド洋のダーバンへ。
ダーバンに行くのは初めてでしたが、2008年にヨハネスブルグで知り合って以来どうしても再会したかった業者さんがいたのでした。
その成果がこちらです♪あるズールー人家族の作品とのこと。ダーバンはズールー人が多く住む土地です(インド系住民も多いです)。
現地からこのキリンさんをインスタグラムに投稿したところ、多くの反響をいただきました。インテリアデザイナーでもある宿泊先ホストの方も配色を絶賛してたので、買い付けに自信が持てました(笑)。
キリンさんは手荷物で持ち帰ったので、すでにアトリエにあります。11/17(金)~11/19(日)の札幌エクセルホテル東急での販売会&受注会でも並べますね。
女性ビーダー(ビーズ職人)たちがたくさん集まるマーケットにも行きました。圧巻の光景。ここでも素敵なアクセサリーを仕入れました。
「このマーケットでは椅子や机は貸し出されず、地べたに商品を並べるほかない。自治政府が彼女たちをリスペクトしてないんだよ」と、案内してくれた方が言ってました。
布も仕入れることができました。
東アフリカや西アフリカの布とは異なるテイストなので、どのように梅田洋品店作品に活かすことができるか、私自身も楽しみです。
ダーバンではお猿さんをよく見かけました。
ヨハネスブルグ、みんなに心配される都市
「ヨハネスブルグにも行きます」と言うと、ケープタウンやダーバンでは皆さんに心配されました。
もっとも、前回訪問時のブログでも書いたように、あの時は少し冒険しましたが、もう危険とされる地域には行かないし、公共バスにも乗らないと決めていました。
もちろん本音は、ダウンタウンで買い物をしたかったのですが…。ウーバー運転手さんに尋ねると「うーん、あんまり行きたくないなぁ」と言うし、ヨハネスブルグ在住の友人にも「ぜったい行かないで」と懇願されたので諦めました。
それでも別の地域で布をさらに仕入れたり、
ズールーのビーズワークにも負けない素敵な作品の買い付けができたので満足です。
職人さんの実際の作業にも立ち会えました!
ヤツガシラですね。ビーズ・アクセサリーは年内に販売体制を整えますので、お楽しみに♪
帰国前に15年ぶりのソウェト観光をしました。アパルトヘイト政策により、黒人少年が白人警官に射殺されるなど、多くの住民が迫害された歴史を持つ旧黒人居住区です。
現大統領のラマポーザさんの出身地であり、マンデラさんも弁護士兼活動家時代に住んでました。
マンデラさんの家は思ってた以上に小さく、ツアー客でぎっしりでした。
オーランドタワーズは元々は発電所で、いまはバンジージャンプもできる広告塔になってます。中にも入れました。
サッカーのスタジアムは伝統的にお酒を飲むときに使う「ヒョウタンの器」をモチーフにしていて、しっかりと「ビールの泡」も屋根に表現されてます(ガイドさんの説)。
10年前のマンデラさんの追悼式の会場でもあります。あのときの「でたらめ手話通訳」事件を覚えてる方も多いでしょう。ちなみに今年、「南アフリカ手話」は南アフリカの12番目の公用語になりました。
これはダーバンのアート系施設での写真ですが、壁に手話が描かれてました。
ヨハネスブルグでは夏日が続き、ジャカランダが綺麗でした。ただし、ジャカランダはその昔に白人入植者たちが植えた外来種(南米の木)なので、生態系を守るために現在は新たに植えることは禁止されてるようです。
今回のまとめ
今回は約3週間で3つの都市に滞在し、よい買い付け旅ができました。
その間、とつぜん「パレスチナ・イスラエル戦争」が始まりましたし、「日本のGDPがドイツを下回り世界4位に転落の見通し」というニュースもありました。
ラグビーのW杯フランス大会の期間中でもあったので、南ア代表(愛称スプリングボクス)のジャージを着ている人も多かったです。映画『インビクタス』で描かれたように、南アの民族融和を象徴する国民的スポーツです。
ヨハネスブルグでは、準決勝イングランド戦の夜のカフェバーでのテレビ観戦を知人に誘われたのですが、安全第一と睡眠時間確保を考えて、お断りしました。
試合は1点差勝利だったので、盛り上がったと思います(その後、スプリングボクスは決勝ニュージーランド戦にも1点差で勝ち、優勝しました)。
南アフリカにはそういう明るい面がありますし、道路や通信などのインフラはほかのアフリカ諸国に比べて格段に優れています。印象としては、少なくとも都市部は東南アジアのそれと変わりません。
けれども、南アフリカは所得格差と失業率が世界最悪の国です。
景勝地の逆側を見れば、多くのホームレス(ほとんどが黒人)やバラック小屋が目に映ります。
一方で、私は今回たまたま複数の白人家庭に招かれましたが、たいてい家政婦や警備員がいて、プールまたはテニスコート(!)が庭にありました。事実上の白人専用(利用者のほとんどが白人)のスーパーもありました。
マンデラさん以降、黒人政権が30年続いてますが、汚職のまん延もあり、所得格差の解消は難しいようです。
また、滞在中に不便だったのが、たびたびの計画停電(数時間の送電停止)の実施です。
国営電力会社の長年の放漫経営のせいで、電力供給に問題を抱えてるとのこと。Wi-Fiはともかく、冷蔵庫が困りました。臨時休業している飲食店も多かったです。あるショップ店員さんが言うには、「コロナ禍より悲惨」。
そんな状況ですが、ダーバンで知り合ったある人は、「来年2024年は1994年の民主化からちょうど30年となる選挙があり、若く有望な候補者がいるので、希望を持っている」と言ってました。
新たなネルソン・マンデラが出現するといいのですが。
首都プレトリアにも寄って、大統領府の庭園にある巨大マンデラ像と面会しました。
なにはともあれ、こうして無事に帰国しました。アトリエでお会いしましょう!
🙋🏻♀️南アから帰国しました。Netflixで『PLUTO』観ながら時差ぼけ克服中。ちなみに日本アニメは南アでも大人気らしく、ダーバンやヨハネスブルグの若い空港職員は私が日本人だとわかると嬉しそうにアニメ話をしてくれました😲🙋🏾♂️「黒崎一護はクール!」🙋🏽♀️「私のブラザーはHENTAIが好きです」
— 梅田洋品店 (@UmedaYoHinTen) October 27, 2023
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【更新日:2024/1/28】
15年以上通ってます
パンデミックによる約3年間の中断もありましたが、梅田洋品店の梅田昌恵は2006年から毎年アフリカ諸都市へ直接訪れて布や雑貨の買い付けをしています。日本では決して見られないような文化、味わえないような食、そして出会った人たち。
思い出の写真とともに、私の知っているアフリカについてのいくつかの事柄を、ご紹介しますね(随時更新します)。
マーケット、工場
アスリート、アーティスト
建築物
食べもの
動物
彫像
なお、アフリカのインテリア小物・雑貨に関しては、『アフリカのかわいいものたち』という本を2024年のうちに作ることを計画してます♪
マーケット、工場
布屋さん
アフリカ各地の様々な布屋さんで買い付けをしてきました。珍しい柄を見つけると興奮します♪
プリント布工場
ガーナではアフリカンプリント(ワックスプリント)の工場見学の機会に恵まれました。スタッフの方が親切に案内してくださいました。機械プリントだけでなく、昔ながらのハンドプリントの作業風景も見ることができてよかったです。
ジンバブエではハンドプリント工房の見学ができました。
アスリート、アーティスト
マイケル・エッシェン(ガーナ/サッカー選手)
2008年アクラのホテルにて。ちょうどランチ中だったガーナ代表「ブラックスターズ」と面会。当時チェルシーFC所属だったエッシェン(エシアン、エシエン)選手はのちにACミランで本田圭佑選手のチームメイトになりました。
チウォニーソ(ジンバブエ/ムビラ奏者・歌手)
2000年ごろからの友人チー。2013年にハラレの彼女の家で再会できましたが、その数ヶ月後に病気で亡くなってしまいました。この写真の通りの元気そうな様子だったのに、突然のことでした。
アシャ(左)(ナイジェリア/歌手)
フランスをはじめ、欧州でセンセーションを巻き起こした歌手。お会いしたのはアフリカではなく、東京の渋谷。2008年、彼女の初来日公演の会場にて物販で参加させていただいたときです。
オリバー・ムトゥクジ(ジンバブエ/歌手)
こちらも東京で。昔からよく聴いていたミュージシャンの2013年の来日公演。お会いすることができて、感激しました。
スレイマン・ケイタ(セネガル/画家)
セネガルを代表する画家。ある用件で現地で電話連絡したのですが、親切にもゴレ島のアトリエとご自宅に招いてくださいました。美しい作品が陳列された、まるで美術館のようなお宅でした。2009年のことです。ケイタさんは2014年にお亡くなりになりました。
ウィリー・ベスター(南アフリカ/彫刻家)
ベスターさんは主に使用済みの鉄を素材として芸術作品を発表しています。2016年のケープタウンで、幸運なことにベスター邸に招かれました。外観も内装も、家そのものがアート作品のようで驚きました。このときは新しい美術館のための出品準備で多忙にも関わらず、車で私を宿まで送ってくださったほど親切な方でした。
建築物
グレート・ジンバブエ遺跡
日本の平安時代ごろに作られた石造建築物です。写ってるのは「大囲壁」。「アクロポリス」と呼ばれる丘の上の廃墟もあり、ひたすら登って疲れました。
ウィリー・ベスター邸
アーティストの項でご紹介したベスターさんの芸術的な家です。
家の中にも作品がたくさん飾られてました。
ネルソン・マンデラ邸
マンデラさんが弁護士、反差別活動家時代に暮らしてた小さな家です。黒人居住区だったソウェトにあり、いまは観光地に。
ザ・ニュー・アフリカ・シュライン
2017年のナイジェリアのラゴスにて、ライブハウス「シュライン(聖堂)」も訪れました(1977年に軍隊に破壊されたのち、再建)。訪れた日はちょうどアフロビートの祖フェラ・クティの長男フェミのライブがある日でしたが、鑑賞は断念(でもその翌年、たまたまスペインで鑑賞できました)。
昼前に訪れたのですが、会場内はお酒と違法なあれこれを楽しんでいる人々がいました。違法なあれこれは「ポリスも買いにくるので捕まらない」と地元の方が言ってました。
食べもの
インジェラ
エチオピアで毎日食べてました。テフというエチオピア原産の雑穀を発酵させてつくる、すっぱいクレープです。肉や豆のワット(煮込み)といっしょに食べます。巻いた状態のものを「すっぱいおしぼり」と個人的には呼んでます。
コーヒー
エチオピアはコーヒー発祥の国だけあって、カフェの多さが目につきました。目の前で煎ってくれるレストランも。どこで飲んでもカップは小さめで、ヨーロッパのカフェで出てくるようなお椀サイズではありません。砂糖入りで出される場合も。数人のエチオピア人に訊いたところ、家で外で、なんだかんだで毎日9杯以上飲むと言ってました。
マンゴー
毎日のように市場や屋台で買って、宿で食べます。この果物の皮をむくことが、アフリカ通いの最大の目的かもしれません??
サザ
アフリカ東部から南部では、主食は穀物(主にトウモロコシ)の粉をお湯で練った食品です。ジンバブエではサザと呼ばれてます。
ウガリ
こちらもトウモロコシもしくはキャッサバの粉を練ったもので、ケニアで食べました。見た通り、お粥というよりお団子で、ナイフで切れるほどの固さ。
プランテーン市場
コートジボワールのアビジャンの市場にて。大きいバナナ…というか、「プランテーン」です。生食用ではなく加熱用の果物。アフリカはじめ熱帯地域では主食として調理されます。「プランテーン・チップス」もよく売っていて、私は大好きです。
食感も調理法もジャガイモのようなものです。
動物
キリン
座っているキリンをご覧になったことはありますか?。私はジンバブエで、あります。安全が確保されてないと座らないらしいのですが、目の前に人間(車の中ですが)がいても気にしないほど慣れてしまったのでしょう。数分後、おもむろに立ち上がり、去って行きました。
シマウマ
これもジンバブエの国立公園で。じっと物思いにふけっているかのように立っていました。ちなみに、縞模様には害虫除けの効果があるとか。
カメレオン
ジンバブエの首都ハラレの知人の家の前にいた野生のカメレオンです。片眼がウィンクしてるように見えますが、たぶん後方を見ているのでしょう…。
ゾウ
コートジボワールのアビジャン動物園(フランス語でzooは「ゾォ」)にいたゾウさん。ちなみにジンバブエのショナ語でゾウは「ンゾウ」。「アフリカでは国立自然公園がよくあるけど、動物園は珍しい」…というのはわたしの思い込みでした。調べたら意外と各国にあるようです。
彫像
クワメ・ンクルマ像
ガーナの初代大統領。「アフリカの独立運動の父」と呼ばれています。この像は首都のアクラにあります。
ネルソン・マンデラ像
南アフリカ共和国初の黒人大統領。この巨大な像は首都プレトリアの大統領官邸のそばにあります。
「工事中」の道路標識?
ガーナのアクラにあることを現地在住のSさんに教えられ、対面。
なにかの妖精でしょうか。
まだまだ思い出の写真があるので、このページはまた更新しますね。
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更新日:2024/1/31
下記は当店が(趣味でこっそり)運営するX(旧ツイッター)のアカウント「アフリカのことわざ」で人気の句です(名称がXになってから自動配信は止められてしまいましたが。復旧準備中です)。
「ニャンコポン神が定めた運命は避けられない」 ガーナ(アカン人)
「うつぶせ寝では、ニャンコポン神は見えない」 ガーナ(アカン人)
「ニャンコポン神が殺さないのに、凡夫が殺そうとしても、あなたは死なない」 ガーナ(アカン人)
いずれもガーナのアカン民族のものです。「ニャンコ」が猫を連想させるのはもちろんですが、「アカン」が関西弁を思わせるのも人気の秘密かもしれません。
なお、X(旧ツイッター)では字数を減らすために「民族」ではなく「人」で統一してます(アカン人、マサイ人、ズールー人等。「族」は個人的になんとなく違和感があるので使ってません)。
*
ちなみに、「ニャンコポン神」という表現は、山口昌男『アフリカの神話的世界』で使用されていたのを拝借しました。この本にはニャンコポン神についての様々な物語が載っています。
ニャンコポンは「オニャンコポン」「ニャメ」とも呼ばれ、字義通りには「偉大なる者」という意味だそうです。全知全能の天空神です。ただし、知り合いのガーナ人に聞いたところ、「人の心のなかにいる」とも。
*
ニャンコポン神は、なぜ天空の神となったのか。Wikipedia日本語版の「オニャンコポン」の項にもほぼ同じ説明がありますが、ここではOxford Referenceに書いてあることを意訳します。
そもそもは、天空神オニャンコポンは人々のすぐ近くに住んでいました。しかし、神は空の頂きに引っ越すことを余儀なくされました。というのも、ある魔女がヤムイモを打ち砕くとき、杵を神にぶつけてしまったからです。
魔女は何が起こったのかを理解すると、すべての臼を集めて積み重ねるよう、子どもたちに指示しました。 子どもたちは、できる限りのことをしましたが、オニャンコポンに到達するためには臼があとひとつ必要でした。魔女は子どもたちに言いました。積み重なった臼のいちばん下からひとつ抜いて、それを使いなさい。子どもたちはそうしました。積み重なった臼はぐらつき、崩れ落ちました。転がる臼が多くの人を殺しました。
この事件以来、「偉大なる者」は人々から遠く離れたままです。しかし、近づきにくい者とは決して見なされていません。精霊アボソムたちにはそれぞれに司祭がいて人間との仲介をしますが、オニャンコポンに司祭はいないからです。
英語原文ではキリスト教の伝統からか、神の代名詞がheとなってましたが、オニャンコポンに性別は無いようです(ガーナ在住Sさん調べ)。
また、阿部年晴『アフリカ神話との対話』によれば、同じような話はガーナ以外の西アフリカ諸国にもあるようです。
なお、こちらが現在もガーナで日常的に使われている杵と臼(と魔女…ではないです!)。
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たまに聞かれるのが、「ニャンコポン」と「オニャンコポン」のちがいです。オニャンコポンの「オ」は日本語の敬語の接頭辞「御」を思わせます。「お礼」「お箸」などの。
でも、いつもガーナでお世話になっているSさんによれば、たんに「方言の違い」と考えればいいそうです。「マックとマクド」、「ヤマザキさんとヤマサキさん」のようなものでしょうか。
いずれにせよ、日本人にはオが付いた「オニャンコポン」のほうが好まれてるようですね。漫画『進撃の巨人』やゲーム『逆転裁判』の登場人物、アニメの作品名、競走馬の馬名にも使用されています。
負けたホープフルSを糧に会心の勝利!きのうの京成杯を鮮やかに差したオニャンコポン=菅原明良騎手。このガッツポーズでした。昨年、涙の東京新聞杯(カラテ)に続く重賞2勝目。デビューから31、30、75勝。4年目シーズンの今年は飛躍が期待できる若手です。#オニャンコポン #菅原明良 pic.twitter.com/DkZUO6s6Rr
— 日刊ゲンダイ 競馬 (@gendai_keiba) January 17, 2022
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とりあえず、今日はここまで。
後日書き足し、書き直しするかもしれません。
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