2025年1月のオンラインショップ掲載予定品です。
【1/18(土)掲載予定】当店最大サイズ、ジンバブエのサイザルバスケット平かごボウル型XXL
【1/12(日)掲載予定】リネンのリバーシブルバッグ
【1/4(土)掲載予定】南アフリカの鳥のビーズ・ネックレス
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春に向けて、お好みのアフリカンプリントで洋服を作りませんか。
1月はアトリエでセミオーダーの特別週間を開催します。
1月11日(土)~25日(土)、丸ノ内線「茗荷谷(みょうがだに)」駅最寄りのアトリエの売り場を広げ、いつもの2倍のセミオーダー向けの布を用意いたします。
アトリエは茗荷谷の湯立坂を下ってすぐ。
各回85分の予約制なのでゆっくりご覧いただけます。
カラフルでユニークな約100点のアフリカの服地と、約30種類の型を心ゆくまでじっくりご覧ください。素敵な一点ものを一緒に作りましょう。
完成は4月末の予定です。宅配便もご利用いただけます(送料600円)。
オーダーできる服の種類や価格は「セミオーダーの型見本リスト」をご覧ください。
完成作品の実例は着こなしスナップのほか、Facebook、Twitter、Instagramもぜひご参考になさってくださいね。
これまで多くのお客さまにオーダーいただいてます。柄もいろいろ♪
会期中は「いつもの2倍」の数量、約100枚の布の展示を保つようにします。
縫製のための水通しをしたうえで随時追加しますので、会期中のどの日も安心してご予約くださいね。
※服地のみの販売はしてません。
今回は10月にジャワ島で仕入れた布も並びます♪
様々な柄をインスラグラム等SNSでも随時紹介しますね。
新作の「ポケット付きティアードスカート」は、
切り替え部分の山道テープもお選びいただけます。
「コクーンパンツ」の型見本もこの機会にぜひご試着くださいね。
ご予約は予約カレンダーをご利用ください。
【追記】もちろん、人気のレディメイド作品もご用意してます♪
セミオーダー・スペシャルウィークス 2025
2025年1月11日(土)~25日(土)予約制(11:00-19:55 各回85分)
予約カレンダー&アクセスマップ
会場:梅田洋品店(丸ノ内線「茗荷谷」駅から7分、千川通り沿い)
《種類と価格》 セミオーダーの型見本リスト
《完成品実例》 着こなしスナップ
■完成は4月末の予定です。宅配便もご利用いただけます(送料600円)。
★クレジットカード、楽天ペイ、PayPayをご利用いただけます。★セミオーダーはご注文時のお支払いとなります。
※バッグ、スカート等のレディメイド品も通常通り展示します。※スリッパで入店いただきます。素足の方は靴下をご用意ください。※服地のみの販売はしてません。様々な柄を随時インスラグラム等で紹介します。
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前編では、「なぜジャワ島を訪れたのか」を記しました。
今回は後編というか本編です。「ジャワ島で何をしてきたのか」という内容です。
写真中心ですので、さくっとお楽しみくださいね。
まずはジャカルタから。ヒジャブについて。
ジャカルタ到着翌日には、数年前に日本で知り合ったインドネシア人の方と再会できました。現地のことをいろいろ教わり、心強かったです。
出会ったころの彼女はヒジャブ姿ではありませんでしたが、最近になって着用を始めたとのこと。
「多様性の中の統一」が国のスローガンで、「国教」は定められてません。ヒンドゥ教や仏教の影響も残ってます。でも人口2億7千万人の9割弱がムスリムとのこと。
そのうちのムスリム女性のヒジャブ着用率は、少なくとも6割以上のようです。
教育を受けた女性が増え、その社会的地位の上昇とともに、自主的なヒジャブ着用率も上がっていったと言われてます。現地ユニクロでもヒジャブを売ってました。
都市の若い世代ほど髪を隠すようになったというのは、不思議な気もします。親世代からの自立の証なのでしょうか。
国民的英雄チュ・ニャ・ムティア(反オランダ闘争の女性指導者)はたぶん(名前を冠したモスクもあるくらいなので)ムスリムですが、肖像では髪を隠してません。2024年12月現在1000ルピアは約9.5円です。
ちなみに、あるところでお会いした姉妹は、未婚の妹がヒジャブ着用で、結婚していて子もいる姉はというと、ヒジャブは着用せず、それどころか髪の一部をビリー・アイリッシュのように青色にカラーリングしてました。
ふつう、結婚姉と未婚妹でスタイル逆のはずでは…とつい思ってしまいましたが、偏見、思い込みですね。姉妹はお互いの信条を尊重してました。
ジャカルタに来たネルソン・マンデラ。晩年はバティック(を模した南ア製)のシャツの愛用者でした。
博物館にあの自由な生物が…
ジャカルタの繊維博物館ではトゥバンというジャワ島の東北にある土地のバティックを特集してました。また、20世紀初頭の手描き作業によるバティックが多数展示されてました。
館内をツアーガイド志望の学生ボランティアさんが案内してくださいました。在籍してる職業学校のカリキュラムの一環だそうです。
猫が展示物の上に寝そべっていて、びっくり。
「お手を触れニャイでください(猫は足だからセーフ)」。
誰も追い出そうとしてなかったのがよかったです。いや、よいのでしょうか…。
ジャカルタでは、郊外のテーマパーク内にあるバティック博物館にも行きました。
ところで、これらの施設では英語案内が少なく、日本で発行されたクレジットカードは使えないなど、首都ジャカルタでさえ外国人旅行者にとっては、すこし不便でした。
逆に、それだけじゅうぶんな内需があるのでしょうね。なにしろ人口が世界4位の国です。
ジャカルタのガンビル駅は日本の駅を参考にしたようです。ここから次の都市ソロ(行政上の名はスラカルタ)へ、特別列車で7時間かけて行きました。
ソロ(別名スラカルタ)
内陸の古都ソロは、前大統領ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)の出身地です。
インドネシア史上はじめての庶民派(非軍人、非政界エリート)の大統領でした。ちょうどかれの任期は私が滞在した10月まででした。2期10年、お疲れ様です。
そのソロには街中いたるところに伝統的バティックの意匠が。
右下のはジャカルタからの列車内でいただいたお弁当です(よく見るとスリーブにバティックの柄)。
ソロでもバティック博物館へ。
地元の大企業が所有するコレクションで、ガイドさんもプロフェッショナルでした。私のあらゆる質問に詳しく答えてくださいました。
べつの企業では、バティック工房の見学をすることもできました。
スタッフさんにとてもよくしていただきました。
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ジョグジャカルタ
ジャワ島で最後に滞在したのはジョグジャカルタです。いまでも州知事はスルタン(イスラム君主)がつとめている古都です。
ちなみに、かつては王族専用だった傾斜柄(パラン)、線の向きがソロとジョグジャカルタでは逆になると聞きました。向きはどっちがどっちだったか…。
バティックをモチーフにしたノート。
ジョグジャカルタでも、もちろん博物館へ。
博物館のガイドさんに日本語堪能な方がいました。
近年、日本人はほとんどジョグジャカルタ観光に来ないそうです。「90年代~00年代は多くの日本人が来ていたのに。どうしてでしょうか」と訊かれました。
うーん、日本人はバリ島にしか行かなくなったのでしょうか…。
やはりこの数十年の日本経済の停滞が原因でしょうか。
伝統的バティックの工程の一部、「ロウで描く」の体験もしました。
影絵芝居「ワヤン・クリ」の人形は牛革製です。
ジャワ島での食べもの
ジャワ料理は辛いものが多いので、すこし苦労しました。
辛くない料理としては「グドゥッ」が美味しかったです。ジャックフルーツとココナッツミルクを使った煮込み料理です。
スイーツもいろいろ食べましたが、「クルポン」という団子が美味しかったです。
アフリカ滞在時と同じように、様々な種類の果物を食べることもできました。マンゴーは大きかったです。
ソロでは伝統薬「ジャムウ」も買いました。主にお湯に溶かして飲みます。
ジャムウ専門のカフェにも行きました。小さいグラスの中身はお口直しの砂糖水。ジャムウは独特の味なので、苦手だというインドネシア人もいました。
ニコニコな国
ジャワのみなさん、目が合えばみんなニコニコです。店員さん、施設スタッフさん、警備員さん、タクシー運転手さん。とにかく笑顔。
「ポジティブ指数ランキング」で世界1位の国なのも納得です。
ただ、極端なクルマ社会でした。すぐ近くに行くのにもバイク利用です。
たしかに、歩道はそれほど整備されてないし、暑すぎるし、信号機付き横断歩道も少ないので、歩いてられないのかもしれません。
とはいえ、アフリカ諸国でも条件は同じですが、アフリカ人はもっと歩いてます。
「インドネシア人は1日の平均歩数が世界で最も少ない」という米スタンフォード大学のデータは正しいようです。
「Eiger(アイガー)」という優れたアウトドアのブランドはあるのですが。
素材と配色が気に入ってリュックを買いました。
ともかく、インドネシアの皆さん、健康のためにも歩くことをおすすめします。
といいつつ、一日の終りまで元気を残しておきたいのでクルマ移動してしまいますね…。
どの街でもパレスチナの旗がちらほら。
昨年10月から続くイスラエルのガザ攻撃。あの「スターバックス」は親イスラエル企業とみなされ、閑散としてたり、休業してたりでした。
あるタクシー運転手さんは「スタバのエスプレッソが好きなんだけど、いまは行きづらい」と嘆いてました。
クアラルンプールに寄りました
帰国する前に、「更紗今昔物語」によればジャワ更紗のロウケツ染め技法が最初に伝播した国のマレーシアの首都クアラルンプールにも寄りました。
その移動の機内では、サウジアラビアのメッカが最終目的だという数十名のインドネシア人ツアー客と一緒になりました。
ある初老男性は、私が日本人だと知ると五輪真弓「心の友」を歌ってくださいました。歌詞(日本語)の意味を尋ねられました(笑)。後で調べたら、この曲は昔ラジオでよく流れたので多くのインドネシア人が歌えるそうです。なお、「若いときのヒーローは千葉真一、志穂美悦子、倉田保昭」とのこと。昭和のアクション映画の俳優さんたちですね。
ジャワ島では日本アニメが好きな人はもちろん、日本人俳優のファンだという人や「日本に数年働きに行ってた」という人にもよく出会いました。
さて、以下はクアラルンプールの独立広場にて。手前は「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」、奥は2023年に完成した世界2位の高さのビル「ムルデカ118」。
マレー系、中国系、インド系が暮らす街。
ジャワ島のものとはテイストの違うバティック(バティックはジャワ更紗のことなので、正確にはマレーシア更紗?)を少し買い足し、もちろんここでもバティック関係の博物館に足を運びました。
2カ国4都市でバティックにたっぷり触れることができた今回の旅でした。
今後も梅田洋品店はバティックに注目していきます。
【おまけ】帰国後に札幌でセミオーダー受注会を開催した際にバティック(右端)も並べました。
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2024年12月のオンラインショップ掲載予定品です。
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【12/22(月)掲載予定】アップサイクルのパッチワークモチーフ・トートバッグ
【12/9(月)掲載予定】フォークロアスカート
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左が西アフリカのパーニュ、右がジャワ更紗
今年も梅田洋品店は10月にお休みをいただきました。
いつもはアフリカ大陸へ買いつけ旅をするための恒例のお休みですが、今回はある目的があってインドネシア(のジャワ島の3都市)を訪ねることにしました。
なぜジャワ島へ?
梅田洋品店が服作りに使っているのは「アフリカン・プリント」です。
細かく言うと、東アフリカの「カンガ」や南アフリカの「シュエシュエ」も使いますが、西アフリカの「パーニュ」がメインです。
左からコートジボワールのパーニュ屋さん、ケニアのカンガ屋さん、南アフリカのシュエシュエ屋さんにて。サイズやデザインの特徴がそれぞれの布で異なります。
「パーニュ(仏語で『腰布』)」は英語圏では「ワックスプリント」とも呼ばれます。つまり「ろうけつ染め」を模した機械プリントのことです。
「アフリカ布」という呼び方も最近は耳にしますが、多くの人がそれでイメージするのも、伝統的な布(泥染め布、ラフィア布等)ではなく、この西アフリカで多く売られているパーニュ=ろうけつ染めを模した機械プリントの布ですよね。
そう、「ろうけつ染めを模した」…
ろうけつ染めといえば、ジャワ語で「バティック」…!
じつは、「パーニュ」の源流はインドネシアのジャワ島にあるのです!
歴史をざっくりと…
ちょうど梅田洋品店を始めた2006年に国立民族学博物館で更紗の特別展が開催され、大阪まで行ったことを覚えてます。
私の理解では、「西アフリカの機械プリントの布の歴史」はざっくり以下のようです。
★15~17世紀の大航海時代に、インドのプリント布(インド更紗)が世界中に伝わる。日本にも。 ↓★ジャワ島でもインド更紗を参考にしたと思われる「ろうけつ染め(バティック)」が独自に発展。ただし王族用として。伝統的なバティックの特徴は、ロウを布の両面に置いて表裏まったく同じに染めること。柄のモチーフは波や剣、椰子の実、星、花など。「忍耐力」「愛と幸福」などの意味が込められていた。ジャワ人の多くが信仰しているイスラームの教えにより、人物や動物のモチーフはなかった(インドや中国の影響による神鳥や蛇神、孔雀の羽の柄などはあり)。 ↓★18世紀後半の産業革命期にイギリスでローラーを使う機械プリントが発明される。18世紀末にイギリスは機械織りの布を大量生産して、植民地インドに輸出。そのためインドの手織り布産業は衰退。 ↓★オランダは17世紀からインドネシアを支配。19世紀、オランダはローラーによるろうけつ染めを開発。「模倣バティック」を大量生産。ジャワ島に輸出…したのですが… ↓★インドの例とは異なり、ジャワ人は負けずに生産性を向上。手描きだけでなく、ブロックプリント(銅のスタンプ=チャップ)も使い、バティックの量産を可能にした。欧州からの大量の綿布の流入もあった。価格も求めやすくなり、大衆化(ただし、「王族以外は着用厳禁の柄」はあった)。 ↓★それに、オランダの模倣バティックは「ロウのひび割れ」が残っていた(現在でもそう。いかにも「ろうけつ染め」に見せるため、あえてそのように製造?)。ジャワ人の好みには合わなかった。 ↓ところが、同じくオランダ領だったゴールドコースト(現在のガーナ)に模倣バティックを輸出すると、デザインも質もたいへん好まれた(それ以前に、兵士としてジャワ島に派遣されていたアフリカ人たちが模倣バティックを持ち帰っており、そのときから人気だった――という説も)。 ↓アフリカ人の好みに合わせて、線を太く、色を明るくデザイン。モチーフには傘や扇風機等の道具のほか、人物含む生き物の絵も。 ↓以来、イギリスや中国の企業も製造と輸出を始めたり、現地にも工場ができたりして、「パーニュ(ワックス・プリント)」は西アフリカ各国の市場にあふれ、「アフリカ布」を代表するまでになった――。
まとめると以上のようです。主な参考資料は以下です。
国立民族学博物館『更紗今昔物語―ジャワから世界へ』
アンヌ・グロフィレー『ワックスプリント―世界を旅したアフリカ布の歴史と特色』
遠藤聡子さん(ブルキナファソとコートジボワールでお世話になりました!)『パーニュの文化誌-現代西アフリカ女性のファッションが語る独自性』
グロフィレーさんによれば、パーニュ(ワックスプリント)は「適応と模倣から生まれた不思議な布」。
実際、バティックの柄の名残もあります。
「西アフリカの機械プリント布の源流はジャワ島にある」という意味がおわかりいただけたでしょうか。
もっとも、今回ジャワでお会いしたバティック博物館のガイドさんも、バティック工房のスタッフさんも、西アフリカのパーニュとその歴史についてはご存知ないようでした。
「うちが元祖だよ」と、もっと自慢していいかもしれませんね。
続きは後編で…
ともかくそういうわけで、この18年間はアフリカにばかり行ってましたが、「ジャワ島にもいつか!」とずっと思っていたのです。
ようやく、今回ジャワの3都市をまわることができました。
バティックを学ぶため、そして服に仕立てるバティックを求めて…
でも、前置きが長くなってしまったので…
続きは別の記事にします…!
【おまけ】
機械プリントでは、このような銅のローラーを使います(ガーナの工場にて)。
ローラーに加え、バティックのようにブロックプリントを施すことも(ガーナの工場にて)。
ジャワ島でのブロックプリント用の銅型(チャップ)。
おまけのおまけ。こちらはガーナのハンドプリント工房での一コマ。固いスポンジのブロックプリント。
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