前編では、「なぜジャワ島を訪れたのか」を記しました。
今回は後編というか本編です。「ジャワ島で何をしてきたのか」という内容です。
写真中心ですので、さくっとお楽しみくださいね。
まずはジャカルタから。ヒジャブについて。
ジャカルタ到着翌日には、数年前に日本で知り合ったインドネシア人の方と再会できました。現地のことをいろいろ教わり、心強かったです。
出会ったころの彼女はヒジャブ姿ではありませんでしたが、最近になって着用を始めたとのこと。
「多様性の中の統一」が国のスローガンで、「国教」は定められてません。ヒンドゥ教や仏教の影響も残ってます。でも人口2億7千万人の9割弱がムスリムとのこと。
そのうちのムスリム女性のヒジャブ着用率は、少なくとも6割以上のようです。
教育を受けた女性が増え、その社会的地位の上昇とともに、自主的なヒジャブ着用率も上がっていったと言われてます。現地ユニクロでもヒジャブを売ってました。
都市の若い世代ほど髪を隠すようになったというのは、不思議な気もします。親世代からの自立の証なのでしょうか。
ちなみに、あるところでお会いした姉妹は、未婚の妹がヒジャブ着用で、結婚していて子もいる姉はというと、ヒジャブは着用せず、それどころか髪の一部をビリー・アイリッシュのように青色にカラーリングしてました。
ふつう、結婚姉と未婚妹でスタイル逆のはずでは…とつい思ってしまいましたが、偏見、思い込みですね。姉妹はお互いの信条を尊重してました。
博物館にあの自由な生物が…
ジャカルタの繊維博物館ではトゥバンというジャワ島の東北にある土地のバティックを特集してました。また、20世紀初頭の手描き作業によるバティックが多数展示されてました。
館内をツアーガイド志望の学生ボランティアさんが案内してくださいました。在籍してる職業学校のカリキュラムの一環だそうです。
猫が展示物の上に寝そべっていて、びっくり。
「お手を触れニャイでください(猫は足だからセーフ)」。
誰も追い出そうとしてなかったのがよかったです。いや、よいのでしょうか…。
ジャカルタでは、郊外のテーマパーク内にあるバティック博物館にも行きました。
ところで、これらの施設では英語案内が少なく、日本で発行されたクレジットカードは使えないなど、首都ジャカルタでさえ外国人旅行者にとっては、すこし不便でした。
逆に、それだけじゅうぶんな内需があるのでしょうね。なにしろ人口が世界4位の国です。
ジャカルタのガンビル駅は日本の駅を参考にしたようです。ここから次の都市ソロ(行政上の名はスラカルタ)へ、特別列車で7時間かけて行きました。
ソロ(別名スラカルタ)
内陸の古都ソロは、前大統領ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)の出身地です。
インドネシア史上はじめての庶民派(非軍人、非政界エリート)の大統領でした。ちょうどかれの任期は私が滞在した10月まででした。2期10年、お疲れ様です。
そのソロには街中いたるところに伝統的バティックの意匠が。
右下のはジャカルタからの列車内でいただいたお弁当です(よく見るとスリーブにバティックの柄)。
ソロでもバティック博物館へ。
地元の大企業が所有するコレクションで、ガイドさんもプロフェッショナルでした。私のあらゆる質問に詳しく答えてくださいました。
べつの企業では、バティック工房の見学をすることもできました。
スタッフさんにとてもよくしていただきました。
ジョグジャカルタ
ジャワ島で最後に滞在したのはジョグジャカルタです。いまでも州知事はスルタン(イスラム君主)がつとめている古都です。
ちなみに、かつては王族専用だった傾斜柄(パラン)、線の向きがソロとジョグジャカルタでは逆になると聞きました。向きはどっちがどっちだったか…。
ジョグジャカルタでも、もちろん博物館へ。
博物館のガイドさんに日本語堪能な方がいました。
近年、日本人はほとんどジョグジャカルタ観光に来ないそうです。「90年代~00年代は多くの日本人が来ていたのに。どうしてでしょうか」と訊かれました。
うーん、日本人はバリ島にしか行かなくなったのでしょうか…。
やはりこの数十年の日本経済の停滞が原因でしょうか。
伝統的バティックの工程の一部、「ロウで描く」の体験もしました。
影絵芝居「ワヤン・クリ」の人形は牛革製です。
ジャワ島での食べもの
ジャワ料理は辛いものが多いので、すこし苦労しました。
辛くない料理としては「グドゥッ」が美味しかったです。ジャックフルーツとココナッツミルクを使った煮込み料理です。
スイーツもいろいろ食べましたが、「クルポン」という団子が美味しかったです。
アフリカ滞在時と同じように、様々な種類の果物を食べることもできました。マンゴーは大きかったです。
ソロでは伝統薬「ジャムウ」も買いました。主にお湯に溶かして飲みます。
ジャムウ専門のカフェにも行きました。
小さいグラスの中身はお口直しの砂糖水。
ジャムウは独特の味なので、苦手だというインドネシア人もいました。
ニコニコな国
ジャワのみなさん、目が合えばみんなニコニコです。店員さん、施設スタッフさん、警備員さん、タクシー運転手さん。とにかく笑顔。
「ポジティブ指数ランキング」で世界1位の国なのも納得です。
ただ、極端なクルマ社会でした。すぐ近くに行くのにもバイク利用です。
たしかに、歩道はそれほど整備されてないし、暑すぎるし、信号機付き横断歩道も少ないので、歩いてられないのかもしれません。
とはいえ、アフリカ諸国でも条件は同じですが、アフリカ人はもっと歩いてます。
「インドネシア人は1日の平均歩数が世界で最も少ない」という米スタンフォード大学のデータは正しいようです。
「Eiger(アイガー)」という優れたアウトドアのブランドはあるのですが。
ともかく、インドネシアの皆さん、健康のためにも歩くことをおすすめします。
といいつつ、一日の終りまで元気を残しておきたいのでクルマ移動してしまいますね…。
どの街でもパレスチナの旗がちらほら。
昨年10月から続くイスラエルのガザ攻撃。あの「スターバックス」は親イスラエル企業とみなされ、閑散としてたり、休業してたりでした。
あるタクシー運転手さんは「スタバのエスプレッソが好きなんだけど、いまは行きづらい」と嘆いてました。
クアラルンプールに寄りました
帰国する前に、「更紗今昔物語」によればジャワ更紗のロウケツ染め技法が最初に伝播した国のマレーシアの首都クアラルンプールにも寄りました。
その移動の機内では、サウジアラビアのメッカが最終目的だという数十名のインドネシア人ツアー客と一緒になりました。
ある初老男性は、私が日本人だと知ると五輪真弓「心の友」を歌ってくださいました。歌詞(日本語)の意味を尋ねられました(笑)。
後で調べたら、この曲は昔ラジオでよく流れたので多くのインドネシア人が歌えるそうです。
なお、「若いときのヒーローは千葉真一、志穂美悦子、倉田保昭」とのこと。昭和のアクション映画の俳優さんたちですね。
ジャワ島では日本アニメが好きな人はもちろん、日本人俳優のファンだという人や「日本に数年働きに行ってた」という人にもよく出会いました。
さて、以下はクアラルンプールの独立広場にて。
手前は「スルタン・アブドゥル・サマド・ビル」、奥は2023年に完成した世界2位の高さのビル「ムルデカ118」。
マレー系、中国系、インド系が暮らす街。
ジャワ島のものとはテイストの違うバティック(バティックはジャワ更紗のことなので、正確にはマレーシア更紗?)を少し買い足し、もちろんここでもバティック関係の博物館に足を運びました。
2カ国4都市でバティックにたっぷり触れることができた今回の旅でした。
今後も梅田洋品店はバティックに注目していきます。
【おまけ】帰国後に札幌でセミオーダー受注会を開催した際にバティック(右端)も並べました。