お針子だより

2026年ドイツとオランダの10日間滞在記

2026年3月上旬をドイツのミュンヘンとオランダのアムステルフェーンで過ごしました。 ミュンヘンは10年ぶりです。今回、ご縁でお誘いいただきました。アムステルフェーンは友人に会いに行きました。 オランダではアフリカンプリント布に関連する歴史的な街にも行くことができました。 ミュンヘン ドイツといえばメッセ(見本市)です。クラフト市が開催されていた「ノイエ・メッセ・ミュンヘン」を訪問しました。 広い会場に職人によるジュエリー、家具、食、衣類が出品されてました。民族衣装をテーマにしたファッション・ショーも。ミュンヘン市内から車で1時間ほどのテーガーン湖へも。バイエルン地方の伝統的な家並みは可愛く、湖もとても綺麗で素敵な場所でした。 また、10年前に訪れた服屋さんの再訪もできました。前回接客してくださった方はリタイアしたとのことですが、親切な店員さんの導きで、前回同様にかわいいカーディガンが買えました♪ ある夜はエチオピア料理店へも。人気店のようで、美味しかったです。インジェラ(写真左端のおしぼり状のクレープのような主食)を食べるのは2015年のアディスアベバ以来😲…! 欧州はアフリカ出身の人も多いので、機会があれば会話しました。 ◎エチオピア人のタクシー運転手さん🙍🏽「兄弟がエミレーツ航空でオーストラリアからエチオピアへ里帰りしようとしてるのですが、今回の戦争(アメリカとイスラエルのイラン攻撃)でドバイで足止めとなり、何日も動けない状態が続いているんです」◎レンバッハハウス美術館の親切な監視員さん👨🏿「ナイジェリア出身です」👩🏻「イボ民族?(当てずっぽう)」🙆🏿「どうして分かった!?」こちらはレンバッハハウス美術館のお庭フランツ・マルク「青い馬Ⅰ」です。はじめてジョージア料理も食べました。皮の厚い大きな小籠包みたいな「ハンカリ」は手で持ち、中のスープをすすって食べます。 ミュンヘンの最終日は10年前には行けなかった「ミュンヘン・レジデンツ」へ。昔のバイエルン王国の宮殿です。おそろしく広くて、金ピカでギラギラ。もっとも、王様の部屋は装飾は派手すぎず、クリーム色や深紅で統一されていて上品な印象でした。現代アートの美術館「ピナコテーク・デア・モデルネ」は今回は時間がなく、入り口ホールの石彫刻の特別展だけのぞきました。「国際女性デー」でした。マリエン広場では女性の権利を訴えるデモのほか、様々な左派的主張のデモをしてました。「クィアの解放を。レインボー資本主義ではなく✊」。日本のものとはデザインのテイストが異なる手芸用品も購入♪ アムステルフェーン ミュンヘンからオランダのアムステルフェーンに移動し、友人宅に滞在しました。 アムステルフェーンではHEMAという100年の歴史がある(!)生活雑貨チェーン店に行きました。「ナインチェ(ミッフィー、うさこちゃん)」グッズもたくさんありました。 購入したこのマグカップ、底にうさこちゃんがくっついてます。飲み物をたっぷり入れてしまうとすこし残酷な気持ちに…。併設のカフェでトンプース(オランダの郷土菓子)をいただきました。 ティルブルフ オランダ到着の翌日にはティルブルフを訪れました。 かつてはオランダ最大の羊毛産業の地で、アフリカンプリント製造とも関わりの深い都市です。目的は「テキスタイル博物館」の見学です。一昨年のジャワ島訪問の記事でも触れましたが、オランダは実は「機械によるアフリカンプリント布の文化を築いた国」でもあります。 ざっくり言うと、オランダ商人が植民地だったインドネシアのバティック(ジャワ更紗、ろうけつ染め)から技法やデザインを学び、「機械製の模造バティック」を西アフリカへ持ち込んだのが、アフリカンプリント布の始まりです。博物館内には研究所もあり、羊毛をフェルトにするための巨大な機械にはびっくり😲 付属の図書館ではアフリカンプリントに関する貴重な書籍もいろいろと見ることができ、実りある時間となりました。 フォーレンダム 港町フォーレンダムで伝統ドレスを着ることができました。 昔の人が日曜日に教会に行くための衣装とのこと。 木靴もはくことができました。赤いネックレスは珊瑚です。 参考:コスプレは2017年のハンガリー以来です。 熟成年度が異なるチーズの試食もできました。 オランダは小さな国ですが、農業大国なのです。 アムステルダム アムステルダムの街で、かわいい自動車を見かけました。フランスのシトロエン社のAmiという超小型EV(電気自動車)。 街並みにもぴったり。ただし日本では法律の規制があって販売してないようですね。...

2025年ガーナの旅 [2]王都クマシ篇

「首都アクラ篇」に続き、古都にして王都のクマシ篇です。ガーナには何度も訪れているのに、クマシは今回がはじめてでした。 地図再掲。 クマシはイギリスに支配される前のアサンテ(英語読みだとアシャンティ)王国の首都でした。 ガーナ共和国として独立後の現在も正式な立憲君主制王国とのこと。つまり、共和国の中に王国がある……といっても国連加盟国ではないし、軍隊もないし。臣民の数は? イメージがつかみづらいのですが、「アサンテ民族の伝統行事や、その象徴『黄金のスツール』を守るための共同体」というふうに理解すればいいのでしょうか。 さて、クマシ行きの目的は2つ、「西アフリカ最大のマーケットの確認」および「ケンテ布の買い付け」です。 クマシへの移動 アフリカ大陸では日本語の企業名やスクール名が書かれた中古の乗り合いバスがよく走ってますが、今回のガーナでは以前ほどは見かけませんでした。 アクラからクマシへは韓国製の新車と思われる長距離大型バスを利用しましたが、バス停では職員によって言うことが異なり、困りました。 オンラインでチケットを買えたので、バス停で職員さんに訊いたところ「それなら、紙のチケットは不要です」。でも念のために、改めて別の職員に訊くと「事務所に来なさい」。やっぱり。 事務所でスマホ上のチケットを見せると、引き換え券のようなものを渡され、さらに発車十分前に本券との引き換え。 非効率すぎます。挙げ句、「次からオンラインでは買うな」と言われました(笑)。 さらに、スーツケースをバスに詰め込むときに、ドライバーに料金を請求されました。 事前に聞いてなかったし、それがあまりに高いので周囲の人にも相談して半額を渡したら…何事もなく受け取ってくれました。ドライバーへのチップみたいなもので、額は適当のようです。 立派なバスを前にしながら、非効率性や昔ながらの慣習も残っていて、いささか戸惑いました。 ガーナはにぎやか、バスの中も 出発前の待ち時間には、聖書を携えた白い衣装のキリスト教の説教師さんが乗り込んできました。コロナ以来の習慣なのでしょう、マスクもしてました。 英語ではなく、たぶんチュイ語での説教でした――「オニャンコポン(チュイ語で神)」と何度も言ってたので。「アーメン」と説教師さんが言うと、「アーメン」と応える乗客もいました。 約7時間の移動です。道路が一部工事中でひどく揺れることもありましたが、それよりも悩まされたのが「音」です。 車内は終始大きな音のラジオ放送(たぶんチュイ語)やテレビドラマ(泣き叫んで大喧嘩する夫婦のお話)がかかってましたが、後ろの席の人もタブレットか何かでお子さん向けに音楽を、これもわりあい大きな音でかけてました。 ガーナに限らず、「公共の場でもイヤホンをしない文化」というのが世界の多くの地域にはあるようですね(知り合いのアメリカ人も「アメリカでは、電車内のスマホはスピーカーだよ」と言ってました)。 とはいえ、ガーナは強烈です。道端でも市場でもスピーカーは音量最大。クマシのお葬式会場(土日に道端に特設)でもそうでした。 停車中の車をのぞいたら運転手らしき人が後部座席で寝てましたが、つけっぱなしのカーラジオもまた、大音量でした。よく寝られるなぁと感心。 レストランも大音量。大声をあげて店員さんと伝え合いました。写真の料理は「鶏肉のピーナッツソース煮込みとフフ(芋類をついて餅のようにしたもの)」です。 そこで、「ガーナ人って、音に鈍感では?」とガーナのファンティ民族の方に尋ねたこともあります。返答は、「全国民がそうではなく、静けさを好む民族もいるよ」とのこと。 クマシの様子 クマシでは広い宮殿が塀に囲まれてますが、周囲は渋滞と排気ガスがひどかったです。 古い建物も多く、歩道はでこぼこで歩きづらく、私がよく知る「アフリカの都会」ではありました。当然かも知れませんが、首都アクラのほうが先に発展している、という印象です。 また、クマシのほうが、昔ながらのアフリカン・ファッションの女性が多いです。 東南アジアでおなじみの「トゥクトゥク」が最近ガーナにも登場していて、クマシではとくに多かったです。自動車は中古車ばかりなのに、トゥクトゥクは新品ばかり。...

2025年ガーナへの旅 [1]首都アクラ篇

2025年10月、7年ぶり5回目のガーナへ行ってきました。 首都アクラ、そして今回は初めて古都にして王都のクマシも訪れ、ちょうど8日間ずつ滞在しました。 首都アクラ アクラでは「アフリカンプリント布のマーケット」はもちろん、「再生ガラスビーズ工房」そして「エウェ民族のケンテ織り工房」を訪れることができました。 昨年の買い付けブログでも書きましたが、ジャワ島からもたらされたジャワ更紗がアフリカンプリントの起源。 もっとも、お互いの大多数の国民がそのことを知らないと思います。柄は似ていても、色のテイストはかなり異なりますからね。 共通点は気温の暑さと、モノの受け渡しに左手を使ってはいけないこと。慣れないので、毎回苦労します…。 再生ガラスビーズ工房 アクラの北の郊外のクロポ地区には「再生ガラスビーズ」の工房がたくさんあります。 私は「セディ・ビーズ」の代表セディさんのワークショップに参加しました。セディさんは7歳からビーズづくりをしているとのこと。 ひとくちに「再生ガラスビーズ」と言ってもいくつか種類があるようですが、ワークショップではガラスの粉末を使う方法を学びました。 ガラスを吸い込みたくないのでマスクとゴーグルを使用したいところですが……換気はいいですね。 キャッサバの葉の茎を使ってビーズの穴を作り、好きな色の粉末を好きな順番で型に流し込みます。それを窯焼きしてくれます。型や窯は蟻塚から取れる粘土から作るそうです。  工程の詳細は現地で投稿したインスタグラムのスライドをご覧ください。 この投稿をInstagramで見る 梅田洋品店(@umeda_yohinten)がシェアした投稿   思い描いたとおりにはできませんでしたが、結果オーライ!? セディさんのご著書も購入。アフリカン・ビーズ全般の勉強にもなります。 もちろんビーズマーケットで仕入れもたくさんしましたよ。今後の梅田洋品店のビーズアクセサリーをどうぞお楽しみに♪ ケンテ織り工房 じつは今回は「プリント布」だけでなく伝統織物「ケンテ」の買い付けも目的でした。アクラでは沿岸部のエウェ(エベ)民族の「ケンテ織り工房」を訪問。 ちなみにガーナの民族構成は、アカン民族(アサンテ人、ファンティ人、ほか)が半数弱。エウェ人は12%ほどです。 ケンテといえば、下のチョコレートのパッケージの下部のようにガーナを象徴したいときに使われがちな黄色メインの幾何学模様ですが、 あれはアサンテ人のデザインです(次の投稿「王都クマシ篇」でご紹介します)。 エウェ人のケンテはもっと具象的で落ち着いた色調でした。 アサンテとエウェでは言語や文化が異なりますが、「ケンテ」と呼ぶのは同じなのですね。どうやら、それぞれに起源を主張してるようで、興味深いです。 また、織物の色や柄に特別な意味が込められている点でも両者は同じです。 見た人に意味を伝える機能を持つ布、となると東アフリカのカンガも同じですね。もちろんカンガの場合は、柄というよりスワヒリ語の文字で伝えてるのですが。  参考:カンガのバルーンスカート...

2024年ジャワ島(アフリカンプリント布の源流)への旅【後編】

前編では、「なぜジャワ島を訪れたのか」を記しました。 今回は後編というか本編です。「ジャワ島で何をしてきたのか」という内容です。 写真中心ですので、さくっとお楽しみくださいね。 まずはジャカルタから。ヒジャブについて。 ジャカルタ到着翌日には、数年前に日本で知り合ったインドネシア人の方と再会できました。現地のことをいろいろ教わり、心強かったです。 出会ったころの彼女はヒジャブ姿ではありませんでしたが、最近になって着用を始めたとのこと。 「多様性の中の統一」が国のスローガンで、「国教」は定められてません。ヒンドゥ教や仏教の影響も残ってます。でも人口2億7千万人の9割弱がムスリムとのこと。 そのうちのムスリム女性のヒジャブ着用率は、少なくとも6割以上のようです。 教育を受けた女性が増え、その社会的地位の上昇とともに、自主的なヒジャブ着用率も上がっていったと言われてます。現地ユニクロでもヒジャブを売ってました。 都市の若い世代ほど髪を隠すようになったというのは、不思議な気もします。親世代からの自立の証なのでしょうか。 国民的英雄チュ・ニャ・ムティア(反オランダ闘争の女性指導者)はたぶん(名前を冠したモスクもあるくらいなので)ムスリムですが、肖像では髪を隠してません。2024年12月現在1000ルピアは約9.5円です。 ちなみに、あるところでお会いした姉妹は、未婚の妹がヒジャブ着用で、結婚していて子もいる姉はというと、ヒジャブは着用せず、それどころか髪の一部をビリー・アイリッシュのように青色にカラーリングしてました。 ふつう、結婚姉と未婚妹でスタイル逆のはずでは…とつい思ってしまいましたが、偏見、思い込みですね。姉妹はお互いの信条を尊重してました。  ジャカルタに来たネルソン・マンデラ。晩年はバティック(を模した南ア製)のシャツの愛用者でした。 博物館にあの自由な生物が… ジャカルタの繊維博物館ではトゥバンというジャワ島の東北にある土地のバティックを特集してました。また、20世紀初頭の手描き作業によるバティックが多数展示されてました。 館内をツアーガイド志望の学生ボランティアさんが案内してくださいました。在籍してる職業学校のカリキュラムの一環だそうです。 猫が展示物の上に寝そべっていて、びっくり。 「お手を触れニャイでください(猫は足だからセーフ)」。 誰も追い出そうとしてなかったのがよかったです。いや、よいのでしょうか…。 ジャカルタでは、郊外のテーマパーク内にあるバティック博物館にも行きました。 ところで、これらの施設では英語案内が少なく、日本で発行されたクレジットカードは使えないなど、首都ジャカルタでさえ外国人旅行者にとっては、すこし不便でした。 逆に、それだけじゅうぶんな内需があるのでしょうね。なにしろ人口が世界4位の国です。 ジャカルタのガンビル駅は日本の駅を参考にしたようです。ここから次の都市ソロ(行政上の名はスラカルタ)へ、特別列車で7時間かけて行きました。 ソロ(別名スラカルタ) 内陸の古都ソロは、前大統領ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)の出身地です。 インドネシア史上はじめての庶民派(非軍人、非政界エリート)の大統領でした。ちょうどかれの任期は私が滞在した10月まででした。2期10年、お疲れ様です。 そのソロには街中いたるところに伝統的バティックの意匠が。 右下のはジャカルタからの列車内でいただいたお弁当です(よく見るとスリーブにバティックの柄)。 ソロでもバティック博物館へ。...

2024年ジャワ島(アフリカンプリント布の源流)への旅【前編】

左が西アフリカのパーニュ、右がジャワ更紗  今年も梅田洋品店は10月にお休みをいただきました。 いつもはアフリカ大陸へ買いつけ旅をするための恒例のお休みですが、今回はある目的があってインドネシア(のジャワ島の3都市)を訪ねることにしました。 なぜジャワ島へ? 梅田洋品店が服作りに使っているのは「アフリカン・プリント」です。 細かく言うと、東アフリカの「カンガ」や南アフリカの「シュエシュエ」も使いますが、西アフリカの「パーニュ」がメインです。 左からコートジボワールのパーニュ屋さん、ケニアのカンガ屋さん、南アフリカのシュエシュエ屋さんにて。サイズやデザインの特徴がそれぞれの布で異なります。 「パーニュ(仏語で『腰布』)」は英語圏では「ワックスプリント」とも呼ばれます。つまり「ろうけつ染め」を模した機械プリントのことです。   「アフリカ布」という呼び方も最近は耳にしますが、多くの人がそれでイメージするのも、伝統的な布(泥染め布、ラフィア布等)ではなく、この西アフリカで多く売られているパーニュ=ろうけつ染めを模した機械プリントの布ですよね。   そう、「ろうけつ染めを模した」… ろうけつ染めといえば、ジャワ語で「バティック」…! じつは、「パーニュ」の源流はインドネシアのジャワ島にあるのです! 歴史をざっくりと… ちょうど梅田洋品店を始めた2006年に国立民族学博物館で更紗の特別展が開催され、大阪まで行ったことを覚えてます。  私の理解では、「西アフリカの機械プリントの布の歴史」はざっくり以下のようです。 ★15~17世紀の大航海時代に、インドのプリント布(インド更紗)が世界中に伝わる。日本にも。 ↓★ジャワ島でもインド更紗を参考にしたと思われる「ろうけつ染め(バティック)」が独自に発展。ただし王族用として。伝統的なバティックの特徴は、ロウを布の両面に置いて表裏まったく同じに染めること。柄のモチーフは波や剣、椰子の実、星、花など。「忍耐力」「愛と幸福」などの意味が込められていた。ジャワ人の多くが信仰しているイスラームの教えにより、人物や動物のモチーフはなかった(インドや中国の影響による神鳥や蛇神、孔雀の羽の柄などはあり)。  ↓★18世紀後半の産業革命期にイギリスでローラーを使う機械プリントが発明される。18世紀末にイギリスは機械織りの布を大量生産して、植民地インドに輸出。そのためインドの手織り布産業は衰退。 ↓★オランダは17世紀からインドネシアを支配。19世紀、オランダはローラーによるろうけつ染めを開発。「模倣バティック」を大量生産。ジャワ島に輸出…したのですが… ↓★インドの例とは異なり、ジャワ人は負けずに生産性を向上。手描きだけでなく、ブロックプリント(銅のスタンプ=チャップ)も使い、バティックの量産を可能にした。欧州からの大量の綿布の流入もあった。価格も求めやすくなり、大衆化(ただし、「王族以外は着用厳禁の柄」はあった)。 ↓★それに、オランダの模倣バティックは「ロウのひび割れ」が残っていた(現在でもそう。いかにも「ろうけつ染め」に見せるため、あえてそのように製造?)。ジャワ人の好みには合わなかった。 ↓ところが、同じくオランダ領だったゴールドコースト(現在のガーナ)に模倣バティックを輸出すると、デザインも質もたいへん好まれた(それ以前に、兵士としてジャワ島に派遣されていたアフリカ人たちが模倣バティックを持ち帰っており、そのときから人気だった――という説も)。 ↓アフリカ人の好みに合わせて、線を太く、色を明るくデザイン。モチーフには傘や扇風機等の道具のほか、人物含む生き物の絵も。 ↓以来、イギリスや中国の企業も製造と輸出を始めたり、現地にも工場ができたりして、「パーニュ(ワックス・プリント)」は西アフリカ各国の市場にあふれ、「アフリカ布」を代表するまでになった――。 まとめると以上のようです。主な参考資料は以下です。 国立民族学博物館『更紗今昔物語―ジャワから世界へ』 アンヌ・グロフィレー『ワックスプリント―世界を旅したアフリカ布の歴史と特色』 遠藤聡子さん(ブルキナファソとコートジボワールでお世話になりました!)『パーニュの文化誌-現代西アフリカ女性のファッションが語る独自性』 グロフィレーさんによれば、パーニュ(ワックスプリント)は「適応と模倣から生まれた不思議な布」。 実際、バティックの柄の名残もあります。 「西アフリカの機械プリント布の源流はジャワ島にある」という意味がおわかりいただけたでしょうか。 もっとも、今回ジャワでお会いしたバティック博物館のガイドさんも、バティック工房のスタッフさんも、西アフリカのパーニュとその歴史についてはご存知ないようでした。 「うちが元祖だよ」と、もっと自慢していいかもしれませんね。 続きは後編で… ともかくそういうわけで、この18年間はアフリカにばかり行ってましたが、「ジャワ島にもいつか!」とずっと思っていたのです。 ようやく、今回ジャワの3都市をまわることができました。...

2023年南アフリカ共和国への旅

7年ぶり6回目! コロナ禍の数年間はアフリカはもちろん、どの国にも行けませんでしたが、2023年10月にようやく買い付けの旅を再開することができました。今回の行き先は多くの友人知人がいる南アフリカ共和国にしました。 よく数えてみたら、2000年〜2002年にボランティアで滞在してた隣国ジンバブエからは3回、その後2008年と2016年にも南アを訪問しています。 というわけで、今回で通算6回目の南ア入国でした。じつは私が最も多く訪れてる外国かもしれません。 まずは大西洋に面したケープタウンに滞在し、それからインド洋に面したダーバンへと飛び、最後は最大の都市ヨハネスブルグに行くという計画を立てました。 この投稿をInstagramで見る 梅田洋品店(@umeda_yohinten)がシェアした投稿 ケープペンギンとの再会は…  ケープタウンでは、ジンバブエ人の友人と再会することができました。世界遺産「カーステンボッシュ国立植物園」を案内してくださいました。  彼女とは2013年にジンバブエで出会い、2017年にはナイジェリアでもお世話になりました。今回でまさかの3カ国目での再会! ご覧の通り、10月上旬のケープタウンはまだ寒かったです。「この冬(7月~9月)は、ケープタウンに暮らした数十年間で最も寒かった」と言う人もいました。酷暑だった日本とは真逆だったんですね。 ただし、欧州系の人(白人)はTシャツ短パンだったりするので驚きます。ウーバーの黒人運転手さんとも、白人との体感温度のちがいについて話題になりました。 7年前のように、ジンバブエ人画家のチェンジェライさん夫妻にも再会できました。なんと来年、チェンジェライ画伯はジンバブエの国立美術館で個展を開催するとのこと。青空市で作品を手売りしてた時代の彼を知っているだけに、それを聞いて私も嬉しかったです。 ちなみにウーバー運転手さんもジンバブエ出身者がとても多かったです。また、女性の運転手さん(カメルーン育ちとのこと)にも一人だけですが遭遇しました。 極楽鳥花が咲き乱れてました。 背後には西洋のお城の形の「キャッスル・ロック」。 でもケープタウンの山といえば、「テーブル・マウンテン」ですね。 ときおり、雲の「テーブルクロス」がかかります。 ケープタウンは2回目ですが、ケーブルカーではじめてテーブル・マウンテン頂上にも行きました。南ア初の黒人大統領ネルソン・マンデラが18年間囚われていた監獄島(ロベン島)を確認。 喜望峰も21年ぶり2回目です。世界屈指の美しい景色を楽しめる車道「チャップマンズ・ピーク・ドライブ」からサイの形をした岩山を眺めました。インスタ映えするカラフルな家が並ぶボカープ地区(マレー系ムスリムが居住)を散歩。左奥にテーブル・マウンテンが見えてますね。ボルダーズビーチでは、これも21年ぶりにケープペンギンたちに会えましたが、個体数が激減しているからなのか、柵が設けられており、観光客は以前のように近づくことができませんでした。 今年7月の袋井イベントの帰りに訪れた「掛川花鳥園」のケープペンギンのほうがもっと間近で見ることができました(笑)。 😎ジャン=リュック・ゴダールごっこ@ケープタウン pic.twitter.com/ds9VmDYsc8 — 梅田洋品店 (@UmedaYoHinTen) October 7, 2023 ケープタウンでは御覧いただいたように旧交を温めたり、観光したりがメインでしたが(笑)、しっかり買付けに関する情報を入手しました。...