2025年ガーナの旅 [2]王都クマシ篇
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「首都アクラ篇」に続き、古都にして王都のクマシ篇です。ガーナには何度も訪れているのに、クマシは今回がはじめてでした。
地図再掲。
クマシはイギリスに支配される前のアサンテ(英語読みだとアシャンティ)王国の首都でした。
ガーナ共和国として独立後の現在も正式な立憲君主制王国とのこと。つまり、共和国の中に王国がある……といっても国連加盟国ではないし、軍隊もないし。臣民の数は?
イメージがつかみづらいのですが、「アサンテ民族の伝統行事や、その象徴『黄金のスツール』を守るための共同体」というふうに理解すればいいのでしょうか。
さて、クマシ行きの目的は2つ、「西アフリカ最大のマーケットの確認」および「ケンテ布の買い付け」です。
クマシへの移動

アフリカ大陸では日本語の企業名やスクール名が書かれた中古の乗り合いバスがよく走ってますが、今回のガーナでは以前ほどは見かけませんでした。
アクラからクマシへは韓国製の新車と思われる長距離大型バスを利用しましたが、バス停では職員によって言うことが異なり、困りました。
オンラインでチケットを買えたので、バス停で職員さんに訊いたところ「それなら、紙のチケットは不要です」。でも念のために、改めて別の職員に訊くと「事務所に来なさい」。やっぱり。
事務所でスマホ上のチケットを見せると、引き換え券のようなものを渡され、さらに発車十分前に本券との引き換え。
非効率すぎます。挙げ句、「次からオンラインでは買うな」と言われました(笑)。
さらに、スーツケースをバスに詰め込むときに、ドライバーに料金を請求されました。
事前に聞いてなかったし、それがあまりに高いので周囲の人にも相談して半額を渡したら…何事もなく受け取ってくれました。ドライバーへのチップみたいなもので、額は適当のようです。
立派なバスを前にしながら、非効率性や昔ながらの慣習も残っていて、いささか戸惑いました。
ガーナはにぎやか、バスの中も

出発前の待ち時間には、聖書を携えた白い衣装のキリスト教の説教師さんが乗り込んできました。コロナ以来の習慣なのでしょう、マスクもしてました。
英語ではなく、たぶんチュイ語での説教でした――「オニャンコポン(チュイ語で神)」と何度も言ってたので。「アーメン」と説教師さんが言うと、「アーメン」と応える乗客もいました。
約7時間の移動です。道路が一部工事中でひどく揺れることもありましたが、それよりも悩まされたのが「音」です。
車内は終始大きな音のラジオ放送(たぶんチュイ語)やテレビドラマ(泣き叫んで大喧嘩する夫婦のお話)がかかってましたが、後ろの席の人もタブレットか何かでお子さん向けに音楽を、これもわりあい大きな音でかけてました。
ガーナに限らず、「公共の場でもイヤホンをしない文化」というのが世界の多くの地域にはあるようですね(知り合いのアメリカ人も「アメリカでは、電車内のスマホはスピーカーだよ」と言ってました)。
とはいえ、ガーナは強烈です。道端でも市場でもスピーカーは音量最大。クマシのお葬式会場(土日に道端に特設)でもそうでした。
停車中の車をのぞいたら運転手らしき人が後部座席で寝てましたが、つけっぱなしのカーラジオもまた、大音量でした。よく寝られるなぁと感心。
レストランも大音量。大声をあげて店員さんと伝え合いました。写真の料理は「鶏肉のピーナッツソース煮込みとフフ(芋類をついて餅のようにしたもの)」です。
そこで、「ガーナ人って、音に鈍感では?」とガーナのファンティ民族の方に尋ねたこともあります。返答は、「全国民がそうではなく、静けさを好む民族もいるよ」とのこと。
クマシの様子

クマシでは広い宮殿が塀に囲まれてますが、周囲は渋滞と排気ガスがひどかったです。
古い建物も多く、歩道はでこぼこで歩きづらく、私がよく知る「アフリカの都会」ではありました。当然かも知れませんが、首都アクラのほうが先に発展している、という印象です。
また、クマシのほうが、昔ながらのアフリカン・ファッションの女性が多いです。
東南アジアでおなじみの「トゥクトゥク」が最近ガーナにも登場していて、クマシではとくに多かったです。自動車は中古車ばかりなのに、トゥクトゥクは新品ばかり。

ただし「トゥクトゥク」という単語がクマシでは通じず、「プラギャ」と呼ぶのだと教わりました。
私も何度か利用しましたが、ある博物館のガイドさんによれば「かれらは運転が荒くて危険だから私は利用しない。あなたも乗らないほうがいい」とのこと……たしかに荒い若者ドライバーもいましたが。
西アフリカ最大のマーケット?

目的地の一つ、西アフリカ最大の屋外市場といわれる「ケジェティア・マーケット」へ行くことができました。
もっとも、同じエリアに屋根付きの巨大ショッピングモールもあり、もっぱらそこで布を買いました。
シーズンオフなので観光客が少なかったのでしょうか、現地の人が99.9%という様子。それなのに、意外なことに、外国人で目立つ私に対してほとんどなにも言ってきませんでした(首都クマシのマコラ・マーケットでは、売りこみの声を頻繁にかけられるのですが)。
ただし、いちどだけ「ニーハオ」と、いたって真面目に、敬意をもって挨拶されました…。からかいではない「ニーハオ」。びっくりして返事ができませんでした。

マーケットでは若いモスリム女性に声をかけて道案内してもらいました。
彼女は地元民(アサンテ人)ではなく、モシ人とのこと。ガーナの北の国ブルキナファソ出身ですが、内戦で家族とともに逃れてきたそうです
きょうだいは16人で、お父さんは四人の妻がいるとのこと。彼女自身は、一夫多妻には嫌悪感を持っているそうです。
マンヒア宮殿
Manhyiaと書くので「マンヒア」でいいのでしょうか。ガーナ人に発音してもらうと「メンシア」に聞こえました。
王母ナナ・コナドゥ・ヤドム3世が98歳で8月に亡くなったばかり。王母を偲ぶ表示物がいくつかありました。
歴代の王が居住した旧宮殿のガイド付きツアーに参加しました。
よくできた等身大の王族の人形がたくさん。
王様の部屋には日本のサンヨー製テレビがありました(撮影禁止のマークがあるにもかかわらず、ガイドさんも特に規制せず。皆さん撮ってたのでつい便乗しましたが、載せるのはこの一枚だけにします)。
各部屋で「アグー(注目)!」とガイドさん。「アメー(承知)!」と応えるガーナ人観光客たち。
私や北米からの参加者たちは当初は戸惑いましたが、そのうちいっしょに「アメー」と応えるようになりました(笑)。
旧宮殿の外では美しい孔雀が自由に歩いてました。
チュイ人のケンテ
織物や焼物の工房など、いくつかの伝統文化施設もめぐりました。目的のひとつ、「ケンテ布の買い付け」も無事に果たすことができました。

「首都アクラ篇」でも書いたように、クマシのアカン民族のケンテはエウェ民族のものとはテイストが異なります。この写真にあるようなアカンのデザインのほうが世界的には有名ですね。
伝承では、猟師の兄弟がアナンシ(昔話で有名なクモ)の巣作りから織り方を学んだとか。
アカンでは男性のみがケンテ織りに従事すると教わりました。世襲制で、十歳から修行を始めるとのこと。織機は各職人が所有。
職人さんは4時間毎に休憩。その4時間で1商品分=1.5m織るそうです。ユネスコ無形文化財のその職人技をインスタグラムでご覧ください(「現職の大統領」のテロップは「前大統領」の間違い)。
あるガイドさんは、「口を開かなくても、メッセージ性のあるケンテを巻けば相手にメッセージが伝わる」と説明してました。
黒いケンテは「経験のある年長者に聞きなさい」、緑とピンクのケンテは「ンクルマ大統領は妻のファティアに負ける」など……。
タンザニアやケニアの布「カンガ」も、メッセージを伝える役割があるので似てますね。もっとも、あちらはスワヒリ語が書かれてますが。
ちなみに、初代大統領「ンクルマ」は発音次第で「オクラ」という意味になるそうです。「箸と橋」みたいな。

なお、昨今はキラキラしたラメの糸が入ったケンテがガーナ人に人気なようで、伝統的な製品の入手にはすこし苦労したのでした……。
カカオ農園
あるケンテ織り工房では、隣接のカカオ農園も案内されました。

ガーナといえばチョコレート。というかその原料のカカオ豆(でも、コーヒーやカカオはマメ科ではないので「カカオのタネ」と呼ぶのが正しそうですね)。

昔は「現地の人はチョコを食べない」と聞いてましたが、メイド・イン・ガーナのチョコ自体はいろいろ売ってました。
パッケージにアフリカンプリントの柄を使ってるものも。
税金にびっくり
レシートに記載されてた税金の多さにびっくり。付加価値税、教育信託基金、国民健康保険税、観光税。いまだにコロナ健康復興税も。
トータル20%くらいですね。ガーナの発展に役立つなら…。
大きなプランテーン(調理用バナナ)も買えました。
貴重な本を入手
ところで、ガーナ滞在中には、鷲田清一さんの朝日新聞の連載記事「折々のことば」に書籍「アフリカのことわざ」からの句が採用されました(記者さんから事前に連絡がありました)。
帰国後に紙面も確認(Uさん、ありがとうございます)。
そしてクマシでは『アカン民族のことわざ(アサンテ・チュイ語と英語)』という本も買えました。
表紙のデザインがインパクト大!
ときどきこの本からのことわざも、Xのアフリカのことわざに投稿しようと思ってます。
充実のガーナ旅
10月は季節の変わり目。クマシ滞在中は決まったように毎夕の豪雨でした。11月から貿易風ハルマッタンが吹きはじめます。
幸い、用事は豪雨の前に終わることがほとんどで、充実した古都滞在ができました。
近所にはドイツ帰りだという親分肌の方もいて、いろいろと便宜をはかってくださいました。若いドライバーさんは待ち合わせより早く来てくれました。
なお、その若いドライバーさんは「学歴があり、電力会社に勤めたが、ガーナは縁故主義社会ゆえに上司が自分の親戚を採用し、自分と契約を更新してくれなかった」とのこと。
世界にはそういう企業がまだまだあるのは残念ですね。日本も政治家は世襲が多いのですが。

アクラへ戻るときは時間の節約のためにバスはやめて、飛行機に乗りました。プロペラ機で一時間くらいだったかと思います。あっという間でした。
日本を出るときは政局がごたごたしていて次期首相が誰になるのか不確定でしたが、帰国とほとんど同時に日本初の女性首相が誕生しました。
東京はずいぶん寒くなっていて、驚きました。
以上で今回の買い付け旅レポートを終えます。最後までお読みいただきありがとうございます。















