2025年ガーナへの旅 [1]首都アクラ篇
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2025年10月、7年ぶり5回目のガーナへ行ってきました。

首都アクラ、そして今回は初めて古都にして王都のクマシも訪れ、ちょうど8日間ずつ滞在しました。
首都アクラ
アクラでは「アフリカンプリント布のマーケット」はもちろん、「再生ガラスビーズ工房」そして「エウェ民族のケンテ織り工房」を訪れることができました。

昨年の買い付けブログでも書きましたが、ジャワ島からもたらされたジャワ更紗がアフリカンプリントの起源。
もっとも、お互いの大多数の国民がそのことを知らないと思います。柄は似ていても、色のテイストはかなり異なりますからね。
共通点は気温の暑さと、モノの受け渡しに左手を使ってはいけないこと。慣れないので、毎回苦労します…。
再生ガラスビーズ工房

アクラの北の郊外のクロポ地区には「再生ガラスビーズ」の工房がたくさんあります。
私は「セディ・ビーズ」の代表セディさんのワークショップに参加しました。セディさんは7歳からビーズづくりをしているとのこと。
ひとくちに「再生ガラスビーズ」と言ってもいくつか種類があるようですが、ワークショップではガラスの粉末を使う方法を学びました。
ガラスを吸い込みたくないのでマスクとゴーグルを使用したいところですが……換気はいいですね。
キャッサバの葉の茎を使ってビーズの穴を作り、好きな色の粉末を好きな順番で型に流し込みます。それを窯焼きしてくれます。型や窯は蟻塚から取れる粘土から作るそうです。
工程の詳細は現地で投稿したインスタグラムのスライドをご覧ください。
思い描いたとおりにはできませんでしたが、結果オーライ!?
セディさんのご著書も購入。アフリカン・ビーズ全般の勉強にもなります。
もちろんビーズマーケットで仕入れもたくさんしましたよ。今後の梅田洋品店のビーズアクセサリーをどうぞお楽しみに♪
ケンテ織り工房
じつは今回は「プリント布」だけでなく伝統織物「ケンテ」の買い付けも目的でした。アクラでは沿岸部のエウェ(エベ)民族の「ケンテ織り工房」を訪問。
ちなみにガーナの民族構成は、アカン民族(アサンテ人、ファンティ人、ほか)が半数弱。エウェ人は12%ほどです。
ケンテといえば、下のチョコレートのパッケージの下部のようにガーナを象徴したいときに使われがちな黄色メインの幾何学模様ですが、
あれはアサンテ人のデザインです(次の投稿「王都クマシ篇」でご紹介します)。
エウェ人のケンテはもっと具象的で落ち着いた色調でした。

アサンテとエウェでは言語や文化が異なりますが、「ケンテ」と呼ぶのは同じなのですね。どうやら、それぞれに起源を主張してるようで、興味深いです。
また、織物の色や柄に特別な意味が込められている点でも両者は同じです。

見た人に意味を伝える機能を持つ布、となると東アフリカのカンガも同じですね。もちろんカンガの場合は、柄というよりスワヒリ語の文字で伝えてるのですが。
参考:カンガのバルーンスカート
アサンテのケンテは代々の職人の息子が継ぐと聞きました(織り機の横棒がお腹に当たるので妊婦には向いてないし、不妊になるという迷信もあるとか)。
でもジミーさんによれば、エウェのケンテは女性も織ることがあるようです。

スピードとリズムに乗った織りの職人芸、ぜひインスタグラム動画でご覧ください。
経済発展
2008年の初めてのガーナ訪問以来、来るたびに感じますが、首都アクラの経済は確実に発展しているようです。
建設ラッシュですし、歩道橋や信号機が増えてました。
前回の7年前に本屋さんだった場所はバーガーキングになってました。良くも悪くも、日本の状況と似てますね。
そのバーガーキングではなかなか美味しいチキンバーガーを食べました。KFCも数店舗見かけたので、チキンの供給には問題ないのでしょう。
↑このKFCの立地、今後の道路舗装を見越している?
そういえば、スペインや兵庫の西宮で行ったことのある「デカトロン」もあって、驚きました。「フランス発のオシャレでリーズナブルな大型スポーツ用品店」と思ってましたが、さすがに西アフリカでは高級店でしょうね。とはいえ、中間層のたしかな拡大を感じます。

↑赤い建物は中華系の雑貨チェーン店です。
ユニクロの会長も将来のアフリカへの出店を見据えているようですし、マクドナルドやスターバックスがやってくる日も近いかもしれません。
アクラでは17年前から毎回お世話になってる現地在住Sさんのお話によると、「停電は今もしばしばあるけれど、以前に比べて復旧が早くなった」とのこと。
もちろん、発展に伴い失われたものもあります。たとえば、以前は手描きの絵の素朴な広告看板がもっとあったと思うのですが、いまは高解像度のカラー写真が主流ですね。それに、高齢者の孤立も問題になってるようです。
こちらは懐かしの看板(2011年撮影)。
いつまでも残ってほしいのがこちら。
観光も
Sさんが観光に連れて行ってくださいました。

黄熱病の研究中に自らも罹患した野口英世博士。
その実験室を改装した記念館がコレブ病院内にあります。といっても遺品はかなり狭いスペースで展示されてました。

野口博士が使用した顕微鏡などありましたが、「忍耐」という直筆の書、そして罹患中に自ら体温を記した表はとくに印象に残ります。
看板も傷みが進んでいたので、没後百年の2028年には改装されることを願ってます。
黄熱病研究に身を捧げた野口英世さんですが、ガーナ人にはほとんど知られてないみたいです🥲
アクラではオス城や、ジェームズタウン灯台もSさんと訪問。どちらも植民地時代の建物です。
オス城は欧州列強に使われた砦。奴隷貿易の拠点にもなり、60人の奴隷が閉じ込められた小部屋にも案内されました……。
アクラ篇はここまでにします。
ちなみに滞在時中には、サッカーのガーナ代表が2026年ワールドカップ北中米大会の出場を決めました。ほぼ決まっていたことだったせいか、スター選手がいないせいか、それほど盛り上がってないようでしたが。
先日(2025年11月)、ガーナ代表が来日して日本代表と親善試合をしましたね。2-0で日本が圧倒する内容でした。あのブラジルにも勝った現在の日本代表の強さに、多くのガーナ人がびっくりしたのでは…。
ビーズショップの店員さんがたまたま日本代表のシャツを着てたので撮らせていただきました。
「王都クマシ篇」に続きます。















